僕の育った街

前回の記事に関連しての話を一つ。

僕はフィリピンや他の外国人の方々、また他の職業や集団に対してのイメージや差別的な事柄について親父とのケンカの後に色々考えておりました。

で、今後の自分に出来る事一つ見つけました。
今から話すのはそれに関連する話です。

僕が小学生から昨年28歳まで過ごした街は某地方都市です。
通ってた小学校は小さな小学校でした。校区も狭くて学年関係なく皆で遊んでいた記憶がよみがえります。

僕が小学校5年生の時、多分今くらいの時期だったでしょうか、仲の良かった2学年下の男の子に年賀状を書いていました。それを見かけた母親…

「baliw、何書いてるの?」

「年下の男友達に年賀状書いてるよ」

母親がその年賀状の宛名と送り先の地区を見て

「この子、きっと朝鮮人ね。この子の親、怖いかも知れないからあまり遊んじゃダメ」

「何さ、朝鮮人って?何で遊んだらアカンのさ!」

と母親の言った事が理解できず小学生ながら怒った事があります。
それからも僕は小学校の友達らと学年関係なく遊びました。

中学に入って思春期を迎える頃、僕が通っていた小学校の校区には多くの在日朝鮮人の方々が住んでる事を知ります。同じくその校区には部落の方々も多く住んでる事も知ります。
その事を知り、理解出来たのは学校であり、親でした。

今考えると同級生の友達の中にも在日朝鮮人の友人もいます。
でもね、その友人との間に芽生えてる友情には何ら関係ありません。互いに幼少の頃に戻ったかの様にふざけあってます。
出身や肩書きなんか関係ないでしょう?

そして僕が24歳の時、同じ町に住む一人の日本人の女性の事を好きで好きでいられなくなりました。猛烈なアプローチの末に僕はその女性と交際する事が出来ました。
が、その交際は一週間で終わりを迎えます。

「何で、俺らアカンのさ?まだ付き合い始めたばかりとちゃうのん?」

「私達、どうしても理解出来ない部分で付き合えないの。ゴメン…」

ホントに不可解な別れでした。
が、半年くらい過ぎてでしょうか、僕はその女性が被差別部落出身という事を知ります。
彼女の言ってた「どうしても理解出来ない部分」とはこの事だったんじゃないのか?そう思います。

そして27歳の時、アルバイト先の社長が在日朝鮮人である事を知ります。いい社長だったし、仕事にも関係無かったので何も気にしませんでした。
ただ僕がフィリピンに夢中になる前です。その社長がフィリピーナの事を馬鹿にしていました。
それからその社長が嫌いになり仕事辞めました。

僕はそんな街で育ってきました。

僕自身、その様な差別を受けた事もした事もありません。

この先、僕が家庭を持ち、子供が出来たなら僕が母親に言われた言葉、そんな言葉は子供には伝えません。
子供同士の純粋な友情を大人の知識でかき乱す事なんかしなくていいでしょう?

そして僕の子供にはいろんな恋愛、いろんな経験を積んでもらいたい。
僕はその時には親と言う立場、どれだけ自分の子供が前に進める様な助言が出来るんでしょう?

敬愛するボブ・ディランの一曲で『時代は変わる』という曲があります。その一節でこんな歌詞があります。

for the times they are a-changin’ 「とにかく時代は変わりつつある」

未来が明るいものであれば良いのに。
心からそう思います。

時代は変わる

コメント

  1. 自分達は好きで納得して付き合ってますが、突然そんな話をされた親としたら我が子可愛さでそんなこと言っちゃうのもわからなくもないです。
    しかし、何故フィリピンは低く見られるんですかね?
    より直接的なことをしている韓国・中国・ロシア等よりも世間的イメージ悪い気がしちゃいます。

  2. Dreamersさん、こんばんは。
    コメント頂きありがとうございます。
    僕も母親に
    「アナタも子供出来たらわかるわよ」
    と、言われました。
    子供の幸せを願うのが親というのもわかりますが、難しいところです。
    僕もフィリピン以外の国の方々の方がイメージ悪いと感じる時ありますね。

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