どうも、フィリピンブログの超亜流「baliwのフィリピン話」の管理人baliwです。
いつまで経っても王道ではない当ブログ。
いつかbaliwのブログがフィリピンを旅する人のバイブルになればイイですね。
絶対にならないけど。
それでも、新しく見に来てくれた人、たびたび訪れてくれる人に何か提案というか投げかけられるものが出来るよう努力します。
僕はフィリピンパブ第三世代
今は第四世代です
今日はフィリピンに関わる入り口になったフィリピンパブを絡めて話をしていきたい。
人身売買の側面などの難しいことは書きません。
個人的に思う事です。
baliwが個人的にフィリピンパブを4つの世代に分けています。
第一世代 創世記とも言える時代。フィリピーナが日本にいっぱい入って来た時で「ジャパユキさん」と呼ばれた時代。やたら街でも見かけた時代。僕が小学生・中学生の頃。
第二世代 最盛期、タレントが何回も日本に来てて、多分フィリピンパブが盛んで同伴もバンバンでパンパンかつアフターでもパンパンしてた時代。僕が思う古参フィリピンブロガーさん達はここの時代の人が多い。
第三世代 衰退期。アメリカからの指導が入り、同伴も出来ない。タレントも入って来れない。全国各地でフィリピンパブが閉店を余儀なくされる時代。2005年前後。
第四世代 現在で再生期。イミテーションやファミリービザでのバイトのフィリピーナが各地のパブを支えている時代。各地のフィリピンパブの企業努力が実を結んだり、まあいろいろ試行錯誤が良い方向に向かってる時代。
個人的に勝手に分けてるだけです。
僕がフィリピンパブに首を突っ込んだのは2004年1月28日です。
忘れもしません。
三重県の地方都市のパブですわ。
今考えると高い店でした。そして怖い店でしたね。
もう無いけど。
あんなに悪の巣窟的イメージが有ったのにね、いやぁこんなに陽気な場所だとは思いもしなかったっす。
すべてはドラマ「愛という名のもとに」のJJことルビー・モレノとチョロこと中野英雄の悲恋を観て、
「なんでチョロの気持ち分かってあげられんのや!悪い女や!違う客とチューチューしやがって!」
(学校の帰り道に思い出し激怒した時)
今ではJJの気持ちがわかる年齢になってきました。
お仕事だもんね。
そりゃね、いろいろあるよ。
で、第三世代の僕はフィリピンパブ全盛期の楽しさも知らず、消えゆく蝋燭が一番燃えるものだと思っていたんです。
そして名古屋に引っ越して池田公園という欲の権化のようなエリアを知り、フィリピンパブにハマっていきました。
世代闘争が面白かったあの頃
いつの時代もどんな社会でも世代闘争はあるものです。
古い時代が悪いと言っているのではなく、若い世代は常に新しき何かを模索するもんです。
例えていうなら猪木と藤波、藤波と長州みたいなもんですわな。
で、フィリピンブログ始めた頃はよくお店やブログで、
「あんたの遊び方は間違ってるよ」
みたいな事を言われたりしたのは良い思い出。
フィリピーナへの接し方も違うし、金の使い方も違う。
お店やブログでもよく、第二世代の方と第三世代の方の討論があったりして良かったです。
両サイドとも大元には「フィリピン好き」っていうバックボーンが有ったからね。
知らない時代を教えて下さる先輩方が居て、僕も何かを通じて次の世代に伝えなくてはならないと感じています。
押しつけは良くないけどね。
これからの第四世代に望むもの
最近でもパブは行きますし、マニラのKTVもちょっとニュアンス違えど行きます。
ショータイムが有るっていう面ではマニラのKTVなんかの方が徹底してるんじゃないでしょうか?
第一世代・第二世代の方がマニラの地に作られた功績は大きい。
ツーリストであれ、在住の方であれ楽しくフィリピーナとお酒が飲めることが重要です。
こうやって新しく何かをきっかけとしてフィリピンに関わってくれる人が増えていくことを望みます。
昔のような時代はやってこないからね、新しく創り上げて欲しい
ただでさえ、フィリピンへの渡航者が毎年増えてて、毎回マニラの街並みが変わっていく経済成長を感じてるんでね、
フィリピンパブが衰退する訳が無い
時代が変われども日本人の気質にフィリピン人の気質は合うんだと思う。
そしていつの時代もフィリピーナを求める人はいる。
それが僕でもあるんですがね。
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コメント
[…] 詳しくは昨日の「マジでフィリピンパブについて考えた」をご参考ください。 […]