日本のオカマ・フィリピンのバクラ

父のカラオケ喫茶に50過ぎのオカマが来るという話は以前から母から聞いていた。年金生活者のご老人がたくさん来店する店にとってはある意味異彩を放ち踊りながら上手に歌うという。

僕にとっては非常に興味が湧いた。今年になってからバクラというフィリピンのオカマという人種に遭遇し、交友を持つまで国内外問わず知り合うのは男か女だけだった。ただ、ナイトクラブで二人ほど白人男にいきなり背後から局部をこすり付けられたことを除いては。
僕は少なからず同性が好きな男性に好まれるみたいだ。しなやかに美しく動作を見せようとしているのが多分原因だろう。「baliwさんて、着物デザイナーのきよ彦に何か似とるっすよね」と後輩に言われたときはさすがにキレたが。僕は同性は好まない、ただニューハーフヘルスなるものには行ってみたいと少しだけ思うが公言出来ない。

今日、父の店に用事で立ち寄ったら母が「来てるわよ、オカマ」と言う。おおっ、ついにジャパニーズ・バクラと初めての接触!と思い店内を見てもらしい人は見えない。「どこよ?」と聞くと母は中年の男性を向いた。普通のおじさんだった。が、僕と目が合うなり、
「あら、こっちへいらっしゃいぃ一杯おごるわよ」と強引に手を引かれる。コントでしか聞いた事の無い言葉。一方的に堰を切ったかの様に話す。とにかく喋る。「この人、ホンマモンや」と思いつつ
「はあ…」
としか生返事しか出来ない。話を聞くと17歳から新宿二丁目で働いていた30年来のベテラン選手で歌うと確かに上手だし踊ると故・由利徹師匠を彷彿とさす踊りをする。ただ見た目は鼻筋の通ったケーシー高峰だが。
その後、父は僕に車で家までケーシーを送っていけと言う。ケーシーは
「あら、悪いわねぇ。いいのぉ?」
悪い人ではなさそうだから送ることにした。車中もひたすら喋りっぱなし。相槌しかうてない。
ただ、一つ気づいたのは父親に関する話が目立ったことだ。ふと思い出すことがあった。

僕がマニラに滞在していた時、ライラと一緒に過ごした。宿はエルミタ・ロビンソン横のホテルをとってくれてライラが勤める店のあるマビニ通りから近い。その為日本からライラの友達が来たと言うので部屋までタレントが何人もやってきた。その中にエリカという19歳のバクラがいた。見た目は普通の線の細い女の子だが喋ると少し野太い。男性器は切り、ホルモン注射をし、胸にはシリコンが入ってる。実際に店でナンバーワンになる月が結構あるそうだ。
エリカは日本のボーイフレンドがいるらしくその性体験を僕とライラに嬉しそうに話す。白人や富裕層であろう人たちがゆっくりと午後のコーヒーを楽しむスターバックスで
「私、この前ボーイフレンドと3時間で7回もしたのよ。私疲れてるのに彼のほうが元気で。でも私マ●コないから全然気持ちよくないのよぉ。ただ唾液まみれ。アハハハ…」
エリカはタガログで大声で話す。白人達もこっちを見ている。が、そんなステータスも階級も気にしないエリカ。人間として大好きなタイプだ。
エリカのボーイフレンドは50過ぎている。
僕:なんで、年上がいいの?
エリカ:だってお父さんみたい、ディバ?優しいから。
その言葉が印象に残っていた。

ケーシーの彼氏も年上でお父さんみたいなとこが良いと車中で話していたし、元気で暮らす実の父も大好きなんだそうだ。
ケーシーは最後に送り賃と言って千円僕にくれて帰って行った。

ケーシーもエリカも自分に正直に生きている気がして少しうらやましく思えた。また国は違えどその道の人たちは心の何処かに父性を渇望していのかも知れないなと思う。

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